ニコライ堂 [建造物]
ニコライ堂 で~す!
昭和32年(1957年)初めて上京し、
就職試験を「ニコライ堂」を眺めながら、受験したのを思い出し、
56年ぶりに 「ニコライ堂」 を訪ねて来ました。
ニコライ堂の愛称で親しまれていますが、
正式には「日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂」だそうです。
1891年(明治24年)に復活大聖堂が建立され、ニコライの名に因んで
「ニコライ堂」 と呼ばれています。
ニコライ堂は、関東大震災で破壊・その後修復、
東京大空襲では無傷のまま残り、
1962年 国の重要文化財に!
就職試験は東京で受験ましたが、地方めぐりばかりで、
定年前 6年間のみが東京勤務でした。
ニコライ堂は、綺麗に保存されています!
東京スカイツリー、まもなく600mです! [建造物]
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現在の「東京スカイツリー」の高さは、594mです!
もう、「600m超」になったかも!
スカイツリーの近く(業平2丁目付近)からは、
第一展望台より上部部分は、よく見えなくなりました。
「源 森 橋」から
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墨田区役所近くの「枕 橋」から
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墨田区役所近くの「隅田公園内」から
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第一展望台・第二展望台の姿
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隅田川の「言 問 橋」方向から
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アサヒビールのビルに映る「スカイツリー」の姿
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隅田川の「東武鉄道鉄橋」方向から
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我が家近くの標高100mの丘陵から、
スカイツリーが眺められるそうですが、
まだ、撮影に成功していません!
旧岩崎邸庭園 [建造物]
旧岩崎邸庭園を歩いて来ました。
明治29年(1896年)、東京下谷区茅町(現台東区)に、
日本の建築史に残る洋館が建てられました。
三菱の創始者 岩崎彌家太郎の長男 岩崎久彌が新築したもの。
洋館の設計は、英国人のジョサイア・コンドル、
同時に完成した和館は、大河喜十郎の会心作、
この洋館・和館とも、明治を代表する名建築で
ともに重要文化財に指定されている。
完成当時は、15000坪の敷地に、20棟以上の建物があったそうで、
現存するのは3棟(洋館、和館、撞球室)のみで
敷地は、5000坪!
洋館は、木造2階建ての本格的な洋風建築
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洋館1階部分は、玄関・食堂・厨房・客室・婦人客室・書斎
・サンルーム・ベランダ(地下室付き)
2階部分は、客室・婦人客室・集会場・ベランダ
大きなメダリオンとゴシック風の窓
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洋 館 南 側
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広大な庭に面した、洋館南側のベランダには、列柱が立ち並ぶ
室内の写真撮影は禁止ですので外観のみです。
和 館
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洋館と結合された和館は、書院造りを基調にし、
完成当時は、建坪500坪にもおよび、
洋館をはるかにしのぐ規模を誇っていたようです。
現在は、広間・次の間・三の間などが残っています。
撞球室は、スイスの山小屋風な建物でした。
三菱の創始者 岩崎彌太郎は、洋館などが、
まだ建てられていない明治18年この場所で亡くなっています。
庭園の水仙や寒牡丹も綺麗でした。
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旧岩崎邸庭園の屋敷北側の「煉瓦塀」と「無縁坂」
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庶民には、無縁の坂だったのかな?
リフォームをしました [建造物]
築30年の我が家のリフォームが終了しました。
計画したリフォームは完了し、屋外は綺麗になりましたが、
屋内は、浴場を除き、古いままですし、
住んでる者も古く、リフォームは、無理のようです。
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屋根の葺き替えと雨どいの交換、外壁の塗装が
外回りのリフォームです。
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外回りは、綺麗に仕上がりました。
古いエアコンも取り外す。
東側から撮影、向かって左側が南、右側が北。
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西側方向から
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外回りは綺麗になったが、垣根が目立つので伐採しました。
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長い間、ブログを休みましたが、
また、頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。
北前船回船問屋の街「岩瀬」 [建造物]
富山市 岩瀬地区の「北前船回船問屋群」を
歩いて来ました。
富山市「岩瀬」は、江戸時代から明治にかけて、
北前船交易の回船問屋が隆盛を誇り、
日本海有数の港町として発展しました。
現在の岩瀬大町・新川町(旧北国街道)通りには、
北前船の文化が香る歴史的価値のある
たくさんの「回船問屋」が建ち並んでいます。
北前船回船問屋「森 家」
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回船問屋「馬場家」
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旧北国街道沿いの北前船回船問屋の家々
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回船問屋の家屋の多くは、岩瀬大町・新川町(旧北国街道)通り
を表構えにし、河岸(港)を背に建てられています。
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この岩瀬地区は、旧回船問屋の建物のほか銀行や商店などが、
建ち並び現代と歴史が共存する町並みになっています。
旧岩瀬銀行 現北陸銀行
旧回船問屋家屋で営業中です!
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元「森家の土蔵」
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現在は、酒屋・ガラス工房・陶芸工房・レストランなどが、
岩瀬の新しい文化を発信してます。
三角形の「どら焼き」が街道沿いのお店で売られています。
岩瀬大町公園の「北前船」と「ガス灯」
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公開されてる貴重な北前船回船問屋「森 家」
入館料100円
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囲炉裏のある商取引の場、畳の敷き方が変わってます。
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森家の吹き抜けの梁
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森家の「道具蔵」の扉には、家紋や龍虎の絵が
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岩瀬橋 と 岩瀬運河
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貴重な遺産がきれいに保存されています。
田麦俣集落の多層民家 [建造物]
山形の庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の要、
雪深い田麦俣(たむぎまた)集落に残る
萱葺きの「多層民家」の紹介!
多層民家2軒と水車小屋1棟ありました。
この地方は、土地が狭く、しかも積雪が多く、
毎日の暮らしと作業・養蚕のための部屋が
一つの建物の中にまとめられたため、
多層の形になったようです。
屋根の妻側から見た姿が、兜の姿に似ているところから、
「兜造り」と呼ばれています。
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この萱葺きの多層民家は、
現在居住中で「民宿かやぶき屋」に
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田麦俣集落は、湯殿山信仰が盛んな頃は、
宿場として利用されたようです。
萱葺きの多層民家「旧遠藤家住宅」、
1階~3階~天井の内部まで見学できます!
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この「旧遠藤家住宅」は、江戸時代後期の文政年間に
建てられたものといわれています。
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内部は、1階が主に家族の居住用、
2階は、下男たちの居住用と作業場・物置、
3階は、養蚕と養蚕のための作業場、
三階の上の天井部分にも物置があります。
一 階部分
「上 座 敷」
床の間には、湯殿山大神が祀られてます!
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下座敷もあります。
家族団らんの場「お め え」
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台 所「で ど こ」
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流 し と 風 呂 場
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馬 小 屋 「ま や」
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二階部分、下男たちの居住用・作業場・物置
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三階部分、養蚕と養蚕のための作業場
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天井と3階の間に物置もあります。
天井部分
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萱葺きの「水車小屋」動いています。
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旧遠藤家住宅の萱葺き屋根の補修中
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民 具
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50年ぶりに田麦俣(たむぎまた)集落を訪ねました。
当時は、たくさんの萱葺き多層民家がありましたが、
「萱葺き多層民家」は2軒と
萱葺き水車小屋だけになっていました。
田麦俣は、山形県鶴岡市になっています。