両国散策(2) [史跡]
江戸時代の雰囲気を伝える
歴史ある史跡や文化が感じられる両国界隈です。
旧安田庭園
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元禄年間に造られ、墨田川の水を取り入れた「潮入式回遊庭園」
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安田庭園からスカイツリーを眺める
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諸宗山 回向院 山門
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回向院本堂
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御本尊 阿弥陀如来
回向院由来
明暦3年(1657年)江戸史上最悪の惨事となった明暦大火の
犠牲者10万人以上、遺体の多くが身元不明。
こうした人々を弔うため本所両国に無縁塚・念仏堂が建てられる。
ここが、その「諸宗山無縁寺回向院」です。
その後、安政大地震・関東大地震・東京空襲・
さまざまな天災地変・人災・海難事故・遊女・刑死者など
身元引受人のいない人々が埋葬供養されているお寺です。
回向院は、江戸の相撲興行の常設場所でもあった。
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回向院での相撲
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東京慰霊堂が両国横綱町公園内に
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大正12年の関東大震災で多数の焼死者が出る。
大震災の遭難者の霊を供養するため、昭和5年に慰霊堂が建てられる。
その後、東京大空襲の犠牲者も安置することに。
関東大震災による死者約58,000人、
東京大空襲による殉難者の遺骨を合わせ
約163,000体の遺骨が安置されています。
慰霊堂内部
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鳩の屋根瓦も!
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慰霊堂建物の後方から見る
両国には、たくさんの相撲部屋が!
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巡業中で相撲部屋は見学できませんでした。
両国散策 [史跡]
江戸時代、江戸随一の賑わいを見せた両国を歩きました。
吉良邸跡や北斎、勝海舟ら名だたる人物の足跡があちこちに
あります。
国技館前からスカイツリーを眺める
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墨田区の横綱一丁目一番地を発見
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昔の両国橋
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現在の両国橋
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「鼠小僧次郎吉」の墓
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義賊と庶民に慕われた鼠小僧次郎吉(本名中村次郎吉)の墓が、
回向院境内にあり、沢山の人がお詣りをしてます。
回向院の境内に「長林英樹」の碑が、
碑に美人画描かれてます。
この人は江戸の六大浮世絵師の1人で、
鳥居清長の法名だそうです。
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勝海舟生誕の地が、両国公園内(両国小学校近く)にあります。
海舟の父親の実家である黒谷家がここで、この地で生まれたと記されてます。
この場所に建物はなく、生誕の碑と由来の碑文のみが。
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赤穂義士の討ち入りで知られる「吉良上野介義央」の
吉良邸が、旧本所松坂町(現在の墨田区両国三丁目)に
あります。
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吉良家の上屋敷は、2、550坪あったとか、
現在は、吉良邸跡ととして一部のみ保存されてます。
吉良上野介義央公坐像
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吉良上野介追慕碑
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吉良家家臣二十士碑
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みしるし洗いの井戸
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赤穂浪士の四十七士の一人、大高源吾の句碑が、
両国橋の東詰に
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両国小学校敷地に「芥川龍之介」文学碑が、
ここの文学碑には「杜子春」の一節が刻まれてます。
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続きます!
八重ゆかりの地を訪ねて [史跡]
大河ドラマ「八重の桜」の舞台となっている
会津若松を歩いてきました。
会津若松は、八重の桜ブームで、たくさんの人が訪ねて来ていました。
JR 会津若松駅
電車も八重の桜です
会津若松めぐりは、まちなか周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」が、
とても便利!
会津の見どころを案内しながら回ってくれます。
大人 1回乗車 200円、 1日フリー乗車券 500円、
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戊辰の戦役で、八重が籠城、激しい攻防戦に耐えた「鶴ヶ城」
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城の屋根は、赤ぽい瓦
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鶴ヶ城 三の丸 近くに「鉄砲を持った八重」の銅像が
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美人の八重さん
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「あかべぇ」
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会津磐梯山 (走行中の電車の窓から)
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秋晴れの1日でした。