信州 安曇野を歩く [道祖神]
久しぶりに信州安曇野を訪ね、双体道祖神めぐりをして来ました。
双体道祖神は、五穀豊穣や子孫繁栄、縁結びの
願いをかけたものと言われています。
また、集落に悪いものが入るのを防ぐ守り神とも言われてます。
石 碑 群
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擁肩袖入れ像 安政5年(1883)
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擁肩握手像(彩色) 天保4年(1833)
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擁肩握手像(彩色) 安政5年(1858)
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握手像(彩色) 文政7年(1824)
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酒器祝言像 安政5年(1858)
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擁肩握手像 安政2年(1855)
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擁肩握手像 天保13年(1842)
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擁肩腹部さぐり? 寛政8年(1796)
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酒器祝言像 安政6年(1859)
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擁肩握手像 天保13年(1842)
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芴扇像 文政10年(1827)
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擁肩向き合い像 昭和60年作の新しい双体像
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餅搗き道祖神像 群馬県にも1体あります
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擁肩握手像 寛政10年(1798)
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男女の手の位置は? 似たような双体道祖神もあります。
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双体道祖神は、長野・群馬・静岡・山梨・神奈川などに多数分布してます。
初夏の信州 [道祖神]
信州は 双体道祖神の宝庫 !
なかでも安曇野には、たくさんの双体道祖神あります。
双体道祖神は、各々違った表情をしています
温泉に入ってる双体道祖神もありました。
りんごの花も咲き始めています!
信州の空を鯉が泳いでいます!
道祖神の里めぐり [道祖神]
11月4日(日) 高崎市倉渕地区 (旧倉渕村)の
第11回道祖神の里めぐりに参加して来ました。
倉渕地区には、114基の双体道祖神がありますが、
今年は「権田・熊久保コース」11基の双体道祖神をめぐりました。
塚越上の道祖神
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小倉下の道祖神
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岩の道祖神
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川西の道祖神(ここには6基もあります)
また、長井の百庚申もこの場所にあります。
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道祖神の里めぐりに、たくさんの人が参加されていました。
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今年も、倉渕中学校の生徒さん総出で、
コース案内、道祖神・史跡解説等をしてくれました。
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1グループ:6~8名に中学生3名の案内が!
群馬県最古の熊久保双体道祖神です
(市指定有形民族文化財)
寛永2年(1625年)
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倉渕で最も新しい平成の双体道祖神
(国体出場記念に作成されたもの)
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くらぶちの秋を楽しみました
露地栽培の「ほうれん草」美味しそうです!
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のんびり歩きました!
倉渕中学校のみなさん有難う
毎年11月上旬に「道祖神の里めぐり」が開催されます。
主催は、高崎市倉渕公民館
道祖神祭り(どんど焼) [道祖神]
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道祖神祭りが、埼玉児玉町で行われていました。
どんど焼(どんどや)がこの地方では、
道祖神祭りの行事として行われています。
1月15日に行われるのが多いようですが、
9日夕方開催されてました。
このお餅をどんど焼の火で、焼いて食べるようです!
家内安全や風邪や厄病除けになると
お札とお餅が、皆さんに配られていました。
そろそろ、焼く火の具合になりました、集まってください!
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初 詣!
兄の49日忌法要が終わりましたので、
初詣に行って来ました。
埼玉県と群馬県の県境にある、
天台宗、金鑚(かなさな)大師大光寺普照寺に
。
ご本尊は、元三(慈恵)大師
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家内安全と健康をお祈りして来ました
金婚祝い双体道祖神! [道祖神]
埼玉県 嵐山(らんざん)町を散策中に、嵐山町千手院759
曹洞宗 普門山 千手院 境内で、
仲睦まじい双体道祖神を見つけました。
「おかげさまで金婚を迎えることができました」と銘があり、
50年の「金婚お祝いの双体道祖神」を建立されたようです。
擁肩握手型の双体道祖神でした!
ご夫婦の名前 と 建立日付 2008.4.21 の銘あり。
このような仲の良いご夫婦でしょうね! おしあわせに!
我が家は、このような姿で金婚を迎えられるかな~
?
このお寺には、埼玉県では、数少ない昔からの(年代不詳)
双体道祖神(擁肩胸中型)があります。 ↓
東京の双体道祖神! [道祖神]
噂を聞いて、数少ない東京都内の「双体道祖神」を探しに、
品川区の西大井付近を歩いて来ました。
品川区二葉1丁目14-16 真言宗「東光寺」に、1体ありました。
東 光 寺 山 門
可愛い「擁肩握手型」の、小さな 双体道祖神 でした。
古い時代のものではなく、最近造られた道祖神のようです。
探し歩いて23,000歩
このお寺には、珍しい「戦没供養塔」が建立されていました。
戦時中第一線部隊の兵士と共に、黙々と働いた
「軍 馬」「軍 用 犬」「伝 書 鳩」の 「戦没供養塔」 でした。
兵士と共に戦った軍馬・軍用犬・伝書鳩に 合 唱
供養塔に描かれている「軍 馬」 ↓
「軍 用 犬」 ↓
やはり供養塔に描かれてる「伝 書 鳩」 ↓
また、戦時中後方支援として活躍した従軍看護婦の
「看護婦慰霊塔」も建立されていました。
地 名 の 変 遷
現在の「東京都品川区二葉」は、
昔は、「東京府下荏原郡平塚村大字下蛇窪」と称し
昭和7年 市制施行で「東京市荏原区下新明町」に
昭和16年 東京都荏原区二葉町」に
昭和23年 品川区と合同し 現在の「東京都品川区」になる
と、お寺の境内に記されていました。
都内の双体道祖神 [道祖神]
目黒区 行人坂の 天台宗 「松林山大圓寺」 (だいえんじ) に、
東京都内では数少ない 珍しい「双体道祖神」がありました。
所在地は、江戸の面影を残す行人坂の
「目黒区下目黒1-8-5」です。
この大圓寺は、江戸の三大火災の一つ「行人坂の大火」の
出火元といわれています。
明和9年2月29日(1772年)、大圓寺本堂から出火した火災は、
たちまち燃え広がり、3日3晩の大火となり、
江戸の街の約三分の一を焼き尽くし、
4,700余人が亡くなったいわれています。
その犠牲者を、供養するためつくられのが「五百羅漢」の
この石仏群です。
双体道祖神(75) [道祖神]
11月4日(日) 群馬県 倉渕の 「第6回 道祖神の里めぐり」 に
参加して来ました。
双体道祖神や庚申塔、馬頭観音などの説明を、地元中学生が
案内してくれました。
興味深い説明を真剣に聞きながら?里山の花々などを撮ってみました。
19年11月4日(日) 撮影!
道祖神めぐりの案内標識 ↑
6基の双体道祖神が並んでいます ↑
手前は「おこそ頭巾」被った有名な双体道祖神,次のは「どんど焼き」に
入れられ、焼け焦げた双体道祖神のようです。
どんど焼きを道祖神まつりとも言います。
コスモスも鮮やかに咲いていました。 ↑
アザミの花も綺麗でした! ↑
ほうれん草も食べごろに! ↑
茶の花も咲いていました ↑
山茶花の花も綺麗でした ↑
倉渕の家々には、ダリアの花が多く見られました。 ↑
この花名は「クライスラー」です! ダリアの生育環境に良い地域かも?
タンポポの花も、まだ元気に咲いてます! ↑
狂い咲きの「さつきの花」です。 ↑
「ゲンノショウコの花」です ↑
月見草の花も健在でした ↑
紅葉も鮮やかでしたよ ↑
いろいろな花色の菊も綺麗でした! ↑
干し柿用に取られ、鳥のために残されたわずかな渋柿 ↑
合掌型の双体道祖神です ↑ 顔立ちの良いのが女性かな?
双体道祖神(74) [道祖神]
旧倉渕村 (現 高崎市倉渕町)には、77ヶ所 114体の
双体道祖神があります。
11月4日(日) 「第6回 道祖神の里めぐり」 が開催され、
参加して来ました。
倉渕の里の山々や花々、紅葉、道祖神、実りの秋などを満喫
この時期に、毎年実施され、年毎に参加者が増加しています。
案内標識
町民総出の協力・支援で開催されているようです!
双 体 道 祖 神 ↑
里めぐりの出発を待つ参加者のみなさん! ↑ 8時半頃 出発は9時です!
中学校の生徒さんによる案内 ↑ 村内のいろいろも紹介してくれました。
10名 1組 に 生徒さん1~2名付き添い案内 (中学生 120名余 総出の行事)
道祖神めぐりの風景 ↑
田 園 風 景 ↑ 懐かしい風景です
双体道祖神や石碑の説明
歩き終えた参加者たちの休憩風景 ↑
無料で配られたなめこ汁 ↑
国体参加記念の平成の双体道祖神 ↑ さすが道祖神の里 倉渕です!
双体道祖神(73) [道祖神]
古い年号ですが、綺麗に管理されてる双体道祖神です。
延享元年(1744年)奉納の銘あり、碑の大きさ60cmX40cm。
群馬 榛名町中里見根岸 に祀られています。二人の手の表情がよく表れている、
肩を抱き手を握り合う、擁肩握手型の道祖神です。よく見かける双体道祖神です。
珍しい文字碑道祖神の紹介!!
文字碑道祖神では、この「道 祖 神」という文字が一般的に使われております。
「道 陸 神」という文字も、時には使われております。
また、「衜 祖 神」 (どうそじん) の文字が使われる道祖神もあります。
次の「八 衢 神」 (やちまたのかみ) という 珍しい道祖神もあります。
なかなか見つける機会は無いと思います。
八衢(やちまた)とは、「四方八方に分かれている所」あるいは「たくさんの辻」の意味。
天保十五年(1844年)の銘、榛名町久留馬地区の車持神社にあります。